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仙台高等裁判所 昭和33年(ネ)471号 判決

控訴人 鳥越兼次郎

被控訴人 臼井福治

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は、控訴人に対する昭和三一年六月一八日付仙台法務局気仙沼支局法務事務官小竹政司作成の昭和三一年第一八号債務弁済契約公正証書に基く借受金一、〇〇〇、〇〇〇円の債務が存在しないことを確認する。被控訴人の反訴請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、左記のように訂正補充をしたほかは原判決事実摘示と同一であるから、こゝにこれを引用する。(たゞし原判決二枚目表末行の「昭和三十一年」は「昭和三十年」の誤記と認められるので前者を後者に訂正する。)

被控訴代理人は、次のように述べた。

1  本件公正証書は、本件約束手形による債権に執行力を与えるために作成されたものである。本件公正証書第一条には、一見したところでは、控訴人が約束手形を振出して被控訴人から金一、〇〇〇、〇〇〇円を借り受けたかのように記載されているけれども、この表現は妥当を欠くものであり、前後の記載を総合してみるときは、同条は、要するに、控訴人がそこに表示されている約束手形を振出したことおよび該約束手形債務の存在することを承認した旨を記載したものであつて、控訴人がそこに表示されている約束手形を振出して金一、〇〇〇、〇〇〇円を借り受けたことを記載しているのではない。

2  本件約束手形の満期は、昭和三一年四月三〇日である。

3  被控訴人は従前、控訴人は第二昭福丸と三号寿々丸の双方の許可書を使用して第一三号千鳥丸(約六五トン)を建造し、主務官庁にその許可を申請し、余剰の権利は苫小牧漁業協同組合にトン当り金一〇〇、〇〇〇円以上の代金で譲渡したと主張してきたが(原判決書五枚目裏一一行目から一三行目まで)、これを改め、控訴人は被控訴人のものとなる三号寿々丸(四九・五九トン)の許可書を使用して第一三号千鳥丸(約六五トン)を建造し、主務官庁に申請し、被控訴人が取得することゝなつた第二昭福丸(四一・九三トン)の許可書を他に譲渡したものである、と主張する。

4  被控訴人は、従前、許可書の交換とか譲渡とか主張してきたがこれは漁業権の交換もしくは譲渡を指したものではない。従来から、漁業経営者間においては一般に漁業権または許可書の売買、譲渡もしくは交換とかいわれているものがあるが、これは法律上の売買、譲渡もしくは交換を指すものではなく、許可漁業に関し相手方が主務官庁に漁業許可を申請するについて約束した方は、自分が従来しておつた所定の漁業を廃業して枠を空け、相手方の許可申請に協力することを約束することを通常漁業権または許可書の売買譲渡もしくは交換と称しているものであり、本件の場合もこれと同趣旨である。この方法は従来から業者間で一般に広く行なわれているものであつて、主務官庁も、これを暗黙に認め許可申請を受理しているものである。したがつて新規に漁業許可を申請する者が廃業する者に対し廃業による損害を補償する意味のもとに金銭を支払うのは法律上禁止されているわけではない。しかして本件で問題になつている母船式さけ、ます流網漁業についてもトン数等に関し厳しい制限がある関係から、控訴人と被控訴人は昭和三〇年一〇月一四日右趣旨のような契約を結んだのである。

5  控訴人が当審で新らしく主張した抗弁事実についてはすべて否認する。

控訴代理人は、次のように述べた。

1  控訴人が被控訴人に対し金一、〇〇〇、〇〇〇円を支払う旨約し、本件約束手形を振出し交付したのは、被控訴人が大鳥丸の権利で昭和三一年度に漁業をしないことを条件としたものゝところ、被控訴人は同年度に大鳥丸の権利で漁業をしたものであることはすでに控訴人が主張したとおりであるが、仮に右のような条件がなかつたとしても被控訴人がもし昭和三一年度に大鳥丸の権利で操業した場合は本件約束手形金の支払いにつき改めて控訴人被控訴人間で協議して支払金額をきめ、それから支払うとの特約があつたものである。前叙のとおり被控訴人は大鳥丸の権利で操業したのであるが右特約に基く協議はまだされていないから控訴人に本件手形金の支払義務はない。

2  以上主張が理由がないとしても、控訴人が被控訴人に対し前叙のような金員支払約束をし、本件約束手形を振出したのは、控訴人が、もし被控訴人が昭和三一年度に大鳥丸の権利に基いて操業した場合はその支払義務を免れるものと誤認したからであるから、右支払約束および手形振出行為はその要素に錯誤あるものとして無効である。なお控訴人には右のように誤信したについて重大な過失はない。それ故控訴人は本件手形金の支払義務を負わない。

控訴代理人は、立証として、甲一ないし一一号証、一二ないし一四号証の各一ないし四、一五ないし一九号証(うち四、五、一七号証は原本の写し)を提出し、原審証人阿部勝治原審および当審証人加藤三男、鳥越専太郎(いずれも原審では一、二回)、当審証人鈴木寿美の各証言ならびに原審および当審での控訴本人尋問の結果を援用し、乙号証につき、一号証の一、二、二ないし五号証、六号証の一および四ないし六、七号証、一一号証、一二号証の一、二の各成立ならびに一三号証の原本の存在とその成立を認め、六号証の二、八号証、九号証の一ないし三、一〇号証の各成立は不知であり、六号証の三についてはこれにある印影の成立のみ認めその余の部分の成立は不知である、と述べた。

被控訴代理人は、立証として、乙一号証の一、二、二ないし五号証、六号証の一ないし六、七、八号証、九号証の一ないし三、一〇、一一号証、一二号証の一、二、一三号証(このうち一三号証は原本の写し)を提出し、うち九号証の一ないし三および一〇号証は被控訴人の作成したものである旨附陳し、原審証人加藤三男(一回)、高橋酉吉、原審および当審証人阿部勝治、当審証人近藤武芳の各証言ならびに原審および当審での被控訴本人尋問の結果を援用し、甲号証につき、一ないし三号証、八、一〇号証、一二号証の一ないし四、一六、一八、一九号証の各成立を認め、このうち一ないし三号証、一二号証の一および一六号証を利益に援用し、その余の各証の成立は不知(たゞし四、五、一七号各証の原本の存在は認める)であると述べた。

理由

第一まず控訴人の本訴請求について判断する。

昭和三一年六月一八日仙台法務局気仙沼支局法務事務官小竹政司が控訴人の代理人と称する阿部勝治および被控訴人の代理人高橋酉吉の陳述に基き債務弁済契約公正証書を作成したこと、そして右公正証書に少くとも控訴人が被控訴人に対し金一、〇〇〇、〇〇〇円の約束手形一通を振出した旨の記載があることは当事者間に争いがない。控訴人は、右公正証書には、控訴人が右約束手形を振出して被控訴人から弁済期を昭和三一年四月三〇日限りとして金一、〇〇〇、〇〇〇円を借受けた旨の記載あることを前提としてかゝる金員を控訴人は借り受けたことはなく、したがつて右公正証書によつて特定される控訴人の借受金債務は存在しない旨主張する。他方被控訴人は、右公正証書には控訴人がそこに表示されている約束手形を振出したことゝ控訴人が右約束手形債務の存在することを承認したことが、記載されているだけであり、一見右公正証書に控訴人が前記約束手形を振出して被控訴人から金一、〇〇〇、〇〇〇円を借り受けたかのように記載されているのは表現の妥当を欠くものであると主張する。これは、右公正証書には控訴人の主張するような控訴人の借受金債務は表示されていないとの主張に帰するものと考えられる。また、被控訴人は、被控訴人は控訴人から金一、〇〇〇、〇〇〇円の支払いを受けることになつていたので右金員の支払いに代えて控訴人から右公正証書掲記の約束手形の振出を受けたものであり、右公正証書は右約束手形債権に執行力を与えるために作成したのである、とも主張する。債務者が債権者に対し既存債務の支払いに代えて手形を振出した場合その既存債務が消減することはいうまでもない。以上被控訴人の主張するところによれば、被控訴人は控訴人主張のその借受金債務の存在しないことを争つていないものと認められる。そうとすれば控訴人の本訴債務不存在確認請求は訴の利益を欠くものとして排斥を免れないものといわなければならない。

第二つぎに、被控訴人の反訴請求について判断する。

一  控訴人が昭和三一年一月九日被控訴人に対し金額一、〇〇〇、〇〇〇円振出地および支払地苫小牧市支払場所苫小牧市信用金庫満期同年四月三〇日の約束手形一通を振出し、被控訴人がその所持人となつたこと、しかして被控訴人は右手形を株式会社七十七銀行に取立委任のための裏書をし、同銀行が更に株式会社北海道拓殖銀行に取立委任のための裏書をし、同銀行が前示満期日に前示支払場所に右手形を呈示してその支払を求めたが、支払を受けることができず、それで控訴人は株式会社七十七銀行の手を経て右手形の返還を受けて現にこれを所持していることは当事者間で争いのないところである。

二  (一) そこで控訴人の抗弁について判断しなければならないのであるが、右抗弁判断の基盤となるいきさつは後記(二)のとおりのところ、これを理解するには、さけまたはますをとることを目的とする漁業(以下これをさけ・ます漁業という)についての行政庁の許可方針と関連してさけ・ます漁業を営む者の間に自然的に発生したと認められるある種の定型的取引についての予備知識を必要とするので、まずこれについて説明するを適当と考える。

1  さけ、ます漁業のうち、母船および附属漁船(これは母船に附属して漁ろうに従事し、かつ、その漁獲物を母船に供給することを目的とする漁船にして、母船にとう載されないものすなわち独航附属漁船と母船にとう載されるものすなわちとう載漁船の別がある)を使用するもの(以下これを母船式さけ・ます漁業という)は、母船式漁業取締規則(昭和二七年農林省令第三〇号同年四月二八日公布即日施行)によつて調整され、総トン数三〇トン以上のスクリユーを備える船舶により流網を使用するもの(以下単にさけ・ます流網漁業というときはこのようなものをいう)は、さけ・ます流網漁業等取締規則(昭和二七年農林省令第五二号同年七月四日公布即日施行)によつて調整され、右以外のもの、すなわち主として三〇トン未満の小型船舶により流網を使用するもの(以下これを小型さけ・ます流網漁業という)は、各都道府県ごとに知事が制定した漁業調整規則によつて調整されているのであるが、母船式さけ・ます漁業は漁業ごとに農林大臣の許可を受けなければ営んではならず(母船式漁業取締規則第二条)、右許可を受けた者は農林大臣の承認を受けた母船または附属漁船でなければその漁業に使用することができず(同規則第八条、なお右承認は、許可の性質を有するものである。以下ある船舶についての母船式さけ・ます漁業の許可というときは右許可と承認を一括して指すものとする)、さけ・ます流網漁業は、船舶ごとに農林大臣の許可を受けなければ営むことができず(さけ・ます流網漁業等取締規則第二条)、また小型さけ・ます流網漁業は、船舶ごとに知事の許可を得なければ営むことができない。しかしてこれら取締法規に見られる諸規定によれば、ある船舶によるさけ・ます漁業の許可は、いずれも、それを営もうとする許可申請者と当該船舶の双方に着目して与えられるものであること明らかであり、したがつて他人が許可を受けた船舶で、さけ・ます漁業をした者は、無許可でそれをしたものとして処罰され(母船式漁業取締規則第六二条さけ・ます流網漁業等取締規則第二九条)、それをさせた者も共犯者と認められゝば処罰されるほか場合により許可を取り消され(母船式漁業取締規則第二四条第一項さけ・ます流網漁業等取締規則第一九条)、あるいは一定期間の操業停止等の処分を受け(母船式漁業取締規則第一七条さけ・ます流網漁業等取締規則第一四条)、それのみならず漁業に関する法令を遵守する精神を著しく欠く者と認められるときは向後許可をもらうことができなくなる(母船式漁業取締規則第四条第一項第一号さけ・ます流網漁業等取締規則第四条第一項第一号)。

なお漁区と漁期についていえば、母船式さけ・ます漁業は北緯四六度以南の海面では営むことができず(母船式漁業取締規則第四三条)他方さけ・ます漁業は北緯四八度以北の北太平洋(ベーリング海オーツク海および日本海を含む)の海面では母船式さけ・ます漁業でなければ営んではならないことゝされており(同規則第四四条)、またさけ・ますをとつてもよい期間は、母船式さけ・ます漁業にあつては当該漁業許可の有効期間とは別に定められる母船または附属漁船の使用承認の有効期間により個別的に調整され、さけ・ます流網漁業にあつては、農林大臣が漁業禁止期間を一般的に定めて告示する(さけ・ます流網漁業等取締規則第一三条)ことによつて規整されている。ちなみに当審証人近藤武芳の証言によれば、右のような調整により、いわゆる北洋さけ・ます漁業の漁期は毎年四月上旬から八月上旬ころまでとなつていることが認められる。

2  ところで、当審証人近藤武芳の証言および原審での控訴本人の供述によつて真正に成立したと認められる甲第五号証(その原本が存在することは被控訴人も認めている)六、一一号証、一三、一四号証の各一ないし四、一五号証、当事者間に成立について争いのない甲一二号証の一ないし四、一六号証によれば農林大臣は、昭和二七年に母船式漁業取締規則およびさけ・ます漁業等取締規則の制定以来さけ・ます漁獲高を制限するため母船式さけ・ます漁業およびさけ・ます流網漁業の許可に関し左記のような方針を執つていることが認められる。すなわち母船式さけ・ます漁業の許可は有効期間を一年として与えているが(母船式漁業取締規則第七条第二項参照)、前年度に独航附属漁船として母船式さけ・ます漁業に従事した実績を有しない船舶について新規に母船式さけ・ます漁業の許可申請があつた場合は、前年度にさけ・ます流網漁業もしくは中型機船底曳網漁業(中型機船底曳網漁業取締規則により農林大臣の許可がなければ営み得ないものとされているもの)に従事した実績を有する一雙以上の船舶(この中に当該許可申請にかゝる船舶が入つていても差支えなく、また、これら船舶についてのさけ・ます流網漁業もしくは中型機船底曳網漁業の許可の期間が当年度に及んでいるかどうかも問うところではない)で当該許可申請にかゝる船舶のトン数と同トン数(ただし昭和三一年度にオーツク海すなわち西カムチヤツカ海面を操業区域とするものについては一・五倍のトン数)のものが、向後前年度に従事した漁業をしないという条件を充足しなければ許可を与えないことにしている。略言すれば前年度の実績を有しない船舶については廃業する船舶の代船としてゞなければ新規許可を与えないことにしているのであつて、かゝる許可方針のもとに新規に与えられる許可を代船許可といつている。(以下代船許可において許可を得る船舶を代船、廃業する船舶を被代船ということにする。なおこゝで附言すると、被代船のトン数(被代船が二雙以上のときは、合計トン数)が代船のトン数を超過する場合は同一年度に限り該超過トン数を、他の代船許可における被代船トン数に算入することを認めている)。しかして代船許可を与えるに必要な被代船の有無を確認する方法としては独航附属漁船の使用承認申請書に廃業しようとする者の農林大臣あて被代船をもつてする漁業を廃業する旨の書面(これは廃業届といわれている)およびその者の印鑑証明書を添付させている。さけ・ます流網漁業の許可は大ていは有効期間を三年として与え(さけ・ます流綱漁業等取締規則第八条参照)、その許可申請書は各都道府県庁を経由して提出させているが、前年度にさけ・ます流網漁業に従事した実績を有しない船舶をもつてするさけ・ます流網漁業の新規許可については、やはり代船許可の方針をとり、被代船としては、前年度にさけ・ます流網漁業に従事した実績を有する船舶だけでなく前年度に小型さけ・ます流網漁業に従事した実績を有する船舶もその適格を有するものとしている。代船許可を与えるに必要な被代船の有無を確認する方法は母船式さけ・ます漁業における代船許可につき述べたところと同様である。なお前顕証拠によれば、各都道府県知事も農林大臣の示達により、昭和二七年以降前年度に小型さけ・ます流網漁業を営んだ実績を有しない船舶についての右漁業の許可については、やはり代船許可の方針をとり、しかも被代船としては前年度に小型さけ・ます流網漁業に従事した実績のあるものゝみが適格を有することにしていることが認められる。

3  前顕証拠に原審での控訴本人および被控訴本人の各供述を併せると次の事実が認められる。

行政庁が従前の実績を有しない船舶によるさけ・ます漁業の許可につき前叙のような方針をとつたため、漁業を営む者の間で左記のような取引が行なわれるようになつた。

(A) ある船舶につきさけ・ます漁業の許可を得ている者が、新らたにさけ・ます漁業を営もうとする者から船舶使用の対価(もしその船舶がさけ・ます漁業を営もうとする者の所有であるときはかゝる対価の授受がなされないことはいうまでもない)以外の対価を得て一定期間その者にその船舶でさけ・ます漁業をさせることを約する取引(以下これを(A)型取引という)。

(B) ある船舶につきさけ・ます漁業の許可を得ている者もしくは右許可を得ていた者が、新らたにさけ・ます漁業を営もうとする者から対価を得て向後その船舶によつて右許可にかゝるさけ・ます漁業をしないことを約し、その者の必要に応じ前記のような廃業届と印鑑証明書をその者に交付することを約する取引(以下これを(B)型取引という)。この(B)型取引の中には、その船舶を新らたにさけ・ます漁業を営もうとする者が別個の船舶につき新規の許可を得る際の被代船として利用することのみを目的とするもの(以下これを(B1)型取引という)と、新らたにさけ・ます漁業を営もうとする者がその欲する時期までその船舶で従前の許可にかゝるさけ・ます漁業を営み(この場合もしその船舶がその者の所有でないならば前記対価とは別にその船舶使用の対価が支払われることになるわけである)、必要に応じこれを新規許何のための被代船に利用することを目的とするもの(以下これを(B2)型取引という)とがあり、更に右(B2)型取引を細分すると、新らたにさけ・ます漁業を営もうとする者がその欲する時期までその船舶で従前の許可にかゝるさけ・ます漁業を営むに、従前許可を得ていた者の許可名義をそのまま利用しようとするもの(以下これを(B2-1)型取引という)と、自分の名義で改めて許可を得てからにしようとするもの(以下これを(B2-2)型取引という)とがある。

しかして以上のような取引が行なわれるに伴い漁業を営む者の間に、特定の船舶が行政庁の許可を得ていることにより現にさけ・ます漁業に従事できるという利益および(もしくは)その船舶が行政庁の許可に基き前年度にさけ・ます漁業に従事した実績を有するが故にこれを代船許可を得るための被代船として利用できるという利益が、その船舶に付着し、しかもその船舶もしくはこれを使用できる権利から独立した別個の権利として観念され、その船舶の(に付着する)さけ・ます漁業の漁業権と呼称され、前叙(A)型取引は漁業権の賃貸借、この取引で支払われる対価は賃借料、また(B)型取引は漁業権の譲渡もしくは売買、この取引で支払われる対価は代金といわれるようになつた。なお、前記のような利益を支配する者は本来は許可の名あて人なわけであるが、(B)型取引が行なわれるに伴い、許可の名あて人でなくて事実上右利益を排他的に支配する者も現われ言うなれば名義上の権利者と実質上の権利者とがかい離する場合が生じた。

こゝで前叙取引の効力について一ベつするに、前叙取引のうち(A)型取引と(B2-1)型取引とはいずれも犯罪とされる行為を目的とする取引であつて、この点からその効力が問題となるが、その余の取引にはこれを無効とみなければならぬ理由はない。けだし、それら取引は犯罪とされる行為を目的とするものでなく、またそこで授受される対価は、従来特定の船舶でさけ・ます漁業をしていた者が向後その船舶でその漁業をしないことによつて被る損失を補償する趣旨のものであつて、行政庁の執る代船許可方針に批判の余地はあるとしてもかかる許可方針のもとにある者の間の取引で右のような対価が授受されるのは当然としなければならないからである。

以下叙述の簡明を期するため、船舶の(に付着する)さけ・ます漁業の漁業権、その賃貸借、譲渡もしくは売買などの言葉を用いるが、それらはすべて前叙のように漁業を営む者の間で通用しているとおりの趣旨で用いるものである。なお、船舶の(に付着する)さけ・ます漁業の漁業権を単に漁業権ということがある。

(二) 前顕書証に成立に争いのない乙五号証、乙二号証、甲三号証、当審証人阿部勝治の証言によつて真正に成立したものと認められる乙八号証、乙九号証の一ないし三、乙一〇号証、成立に争いのない乙一一号証、原審での控訴本人の供述により真正に成立したものと認められる甲七、九号証、一七号証(この原本の存在は被控訴人も認める)成立に争いのない甲八、一〇号証、乙三号証、一二号証の一、二、原本の存在と成立について争いのない乙一三号証、成立に争いのない甲二号証(乙七号証はこれと同一のもの)、一八号証(乙四号証はこれと同一のもの)、乙一号証の一、二ならびに原審および当審証人加藤三男(原審では一、二回)、阿部勝治、鳥越専太郎(原審では一、二回)の各証言、原審および当審での控訴本人および被控訴本人の各尋問結果を総合すると、本件約束手形が振出されたいきさつは左記のとおりと認められる。

1  控訴人は、北海道苫小牧市に居住し漁業を営み各種漁業協同組合の役員の職にあるもの、被控訴人は、宮城県気仙沼市に居住し漁業を営んでいるものである。控訴人は、昭和二八年度にその所有の第一一千鳥丸によつてさけ・ます流網漁業をした実績を有した。被控訴人は千歳丸(一九・六六トン)、第二昭福丸(四一・九三トン)、第三寿々丸(四九・五九トン)等の船舶を所有していたが(もつとも千歳丸は登録上阿部勝治の所有名義になつていた)、昭和二八年度にさけ・ます流網漁業をした実績がなかつた。

2  昭和二九年春被控訴人と控訴人は共同でさけ・ます流網漁業を営もうと計画し、被控訴人の前記第二昭福丸の登録上所有者名義を控訴人に移転し、控訴人が前記第一一千鳥丸を被代船として第二昭福丸に有効期間三年のさけ・ます流網漁業の許可を得たのであるが、その後右計画を変更、被控訴人が控訴人から第二昭福丸の漁業権を賃借し(これは(A)型取引である)昭和二九年度は被控訴人が第二昭福丸でさけ・ます流網漁業をした。なお被控訴人は、第二昭福丸の漁業権賃借の際漁獲物を水揚げする釧路魚市場から年度末に漁業経営者に支払われることになつている漁業奨励金を控訴人が支払を受けることに特約した。他方前記計画の変更に伴い同年四月二三日控訴人は被控訴人から千歳丸を賃借し、これに小型さけ・ます流網漁業の許可を得て同年度に右漁業をしたのであるが、千歳丸の賃料は、第二昭福丸の漁業権の賃料と相殺することにした。

3  昭和二九年九月一八日被控訴人は控訴人に第二昭福丸を売却したので同船をもつて昭和三〇年度にさけ・ます流網漁業をすることができなくなつたが、被控訴人は昭和三〇年度にもさけ・ます流網漁業を営もうと考え同日控訴人との間に、(B2-1)型取引としての左記契約を結んだ。

(1)  控訴人は、その責任で被代船をさがし、四五トン級の船舶に昭和三〇年度以降の有効期間を有するさけ・ます流網漁業の許可を受け、その船舶の漁業権を被控訴人に譲渡する。

(2)  これに対する対価として被控訴人は前記千歳丸を金九〇〇、〇〇〇円の評価のもとに控訴人に譲渡する。たゞし千歳丸に付着する底曳網漁業の漁業権は被控訴人に留保する。

4  右契約履行のため、まず被控訴人から前記第三寿々丸の登録上所有者名義を控訴人の女婿である鳥越清隆名義に移転した。そして控訴人は昭和二九年度に小型さけ・ます流網漁業を営んだ一〇トン未満の船舶四雙(その合計トン数ほぼ二三トン)に付着する小型さけ・ます漁業の漁業権を右漁業を営んでいた者からトン当り金二〇、〇〇〇円で買受け、昭和三〇年三月これら船舶および前記千歳丸を被代船とし、控訴人および前記鳥越清隆ほか四名を共同申請者として前記第三寿々丸についてのさけ・ます流網漁業の許可申請をしたが、このような共同申請したことに難点ありとされ、なかなか許可が下りなかつた。控訴人は、右許可申請で被代船となつた船舶の合計トン数が五二・六トンに達し前記契約で約した四五トンを超過したし、またそのころ被控訴人が前記第二昭福丸の漁業権賃貸借の際の特約に反し釧路魚市場から漁業奨励金を受け取つてしまつたことが判明したりしたので、被控訴人に更に金三五〇、〇〇〇円を控訴人に支払うことを約束させた。第三寿々丸についてのさけ・ます流網漁業の許可は、控訴人の努力で昭和三〇年五月二三日に至り、有効期間を昭和三一年三月三一日までとし、後日の更新は認めないとの含みでようやくにして下りたので、被控訴人は控訴人から第三寿々丸の漁業権を譲り受け同船をもつて昭和三〇年度にさけ・ます流網漁業を営んだ。

5  昭和三〇年一〇月一三日控訴人と被控訴人は加藤三男の立会のもとに左記のような契約を結んだ。これは(B2-1)型取引の逆取引と(B1)型取引とが結合した契約である(以下この契約を漁業権交換契約という)

(1)  被控訴人は、第三寿々丸に付着するところの実質上被控訴人のものである漁業権を控訴人に譲渡し、控訴人が新造する船舶にさけ・ます漁業の許可を受けるための被代船として第三寿々丸を利用することを認める。

(2)  これに対し控訴人は、被控訴人に対し第二昭福丸の漁業権および控訴人が他からみつける八・〇七トン漁業権(第二昭福丸のトン、数と合計すると五〇トンになる)を譲渡する。

(3)  第二昭福丸の漁業権と第三寿々丸の漁業権には価格差があるからこれを填補するため被控訴人から控訴人に対し金一、五〇〇、〇〇〇円を支払う。

しかして右契約に基き被控訴人は同日控訴人に対し金額一、五〇〇、〇〇〇円の約束手形一通を振出したのであるが、同年一〇月三〇日控訴人の求めにより右手形を金額五〇〇、〇〇〇円の約束手形三通に書き替えた。

6  控訴人は、昭和三〇年九月気仙沼市の吉田造船所に六五トンの新船の建造を注文し、昭和三一年度の西カムチヤツカ海面での母船式さけ・ます漁業に右新造船を独航附属漁船として出漁する計画を立て、準備を進めていたが、昭和三一年度の右漁業で代船許可を得るには前年度までと異り、代船の一・五倍のトン数の被代船を要することになつたので被代船を得る資金に窮し同年一二月中旬被控訴人に無断で第二昭福丸の漁業権を他に売却処分してしまつた。それで前記漁業権譲渡契約に基く債務(廃業届と印鑑証明書を被控訴人に交付すること)を履行することができなくなつた。

原審での控訴本人尋問で控訴人は第二昭福丸の漁業権を処分する前に被控訴人の承諾を得たように供述しているが、これは措信できない。

7  かくして控訴人は、吉田造船所で新造した船舶を第一三千鳥丸と命名し、これにつき第三寿々丸ほか他からその漁業権を買い受けた三隻の船舶(合計九八・三二トン)を被代船とし昭和三〇年一二月二〇日に農林大臣あて母船式さけ・ます漁業の許可申請をした。

8  昭和三〇年一二月二一日控訴人は被控訴人に対し前記漁業権交換契約の破棄を申し入れる書信を発し前記約束手形三通を送付してやつた。控訴人から第二昭福丸の廃業届および控訴人の印鑑証明書の送付があるのを鶴首していた被控訴人はこれに憤慨し控訴人に対し右申し入れに応じ得ない旨直ちに回答するとともに右約束手形三通を控訴人に返送した。

9  しかして被控訴人は、控訴人の右のような一方的な態度に憤慨のあまり、北海道水産課あてに「控訴人は詐欺をしたからもし第一三千鳥丸の出漁が許可になれば行政訴訟になるかも知れない。」旨の投書をした。

10  また、前記漁業権交換契約の立会人であつた加藤三男に話して同人から控訴人に対し書信または電話をもつて「控訴人のやることは詐欺だ。控訴人がもし前記漁業権交換契約による債務を履行しないならば、被控訴人はじつこんにしている宮城県選出の代議士で農林政務次官をしている人がいるからその人に、第二昭福丸についても第三寿々丸についてもこれまでにさけ・ます流網漁業をした実績を有するのは控訴人ではなく被控訴人であることを告げて控訴人の第一三千鳥丸の出漁許可申請を妨害してやるといつている」と通告してもらつた。

11  それで控訴人は、急きよ被控訴人と折衝のため気仙沼市に赴いた。その際控訴人の甥鳥越専太郎も同道した。鳥越専太郎は大鳥丸(四九・八八トン)を所有し、この船舶には昭和三一年を有効期間の最終年とするさけ・ます流網漁業の許可が与えられていた。そのころ同人は同船を気仙沼港に回航し、前記加藤三男に頼んでその所有権および漁業権を売りに出していたのであるが、同船は昭和三〇年度の操業中北緯四八度以北の海面(さけ・ます流網漁業の禁止される海域)で操業したのを監視船に検挙されていたので、前記許可の取り消しもしくは一定期間の操業停止処分を受けることが当然に予想され、そのため買手がつかないでいたものである。

12  右のように気仙沼市に赴いた控訴人は、はじめは被控訴人には会わず、もつぱら加藤三男を介して被控訴人と折衝した。その結果

(1)  前記の漁業権交換契約は、合意解消する。

(2)  控訴人は、被控訴人に前記三通の約束手形のうち二通はそのまゝ返還し、他の一通はすでに他に裏書譲渡してしまつたのでその返還に代えて控訴人から被控訴人に金額五〇〇、〇〇〇円の約束手形一通を振出す。

(3)  被控訴人は、控訴人が第三寿々丸の漁業権を第一三千鳥丸の前記許可申請に利用することを認める。

(4)  控訴人は、大鳥丸の漁業権を鳥越専太郎から買受けこれを被控訴人に無償で譲渡する。これは(B1)型取引である。

(5)  大鳥丸の漁業権がもし取り消された場合には、控訴人は被控訴人に対し同船と同トン数のさけ・ます流網漁業の漁業権でこれによつて昭和三一年度にさけ・ます漁業をなし得るものを無償で譲渡する。

というところまでは円滑に話し合いが進行した。しかし、こゝで被控訴人は、右のような解決方法をとつたゞけでは被控訴人として大鳥丸の漁業権による昭和三一年度のさけ・ます漁業の計画が立たず、前記漁業権交換契約の解消を余儀なくされたことによつて被る損害が充分に填補されないとの理由から右のほか控訴人が被控訴人に金一、五〇〇、〇〇〇円を支払うよう要求した。これに対し控訴人は、前記(1) ないし(5) のような解決方法をとることによつて双方の利害権衡は充分にとれている、それに被控訴人は控訴人に支払いを約した4記載の金三五〇、〇〇〇円のうち金一五〇、〇〇〇円をいまだに支払つていないとして被控訴人の前記要求を拒み、そこで話し合いは一時行きづまつた。そこで加藤三男は、一方被控訴人の前記要求金額を金一、〇〇〇、〇〇〇円まで減額させ、多方控訴人に対し「西カムに第一三千鳥丸の出願中ではないか。次官が来るぞ。一五〇、〇〇〇円も何もない。西カムへ出ることだ」と言つて懇々と説得した。それで控訴人は第一三千鳥丸について申請中の漁業許可が下りることを条件として被控訴人の要求に応ずることゝし、右条件の成否は遅くも昭和三一年四月上旬ころには判明することが判つていたので、右金員の支払いは昭和三一年四月三〇日を満期とする約束手形を被控訴人に振出してすることにした。こうして和解の骨子についての最終的合意ができたので昭和三〇年一二月三〇日控訴人と被控訴人は前記折衝開始以来はじめて顔を合わせ、鳥越専太郎を交えた三者間で契約書(甲二号証乙七号証)を作成し、前叙のような合意をもつた正式の和解契約を結び、前記条件付き金員支払いの約は右契約書の第三条にうたわれた。もつとも同条には「乙(控訴人を指す)は第十二号千鳥丸に対し如何様なる申請手段によるとも西カムが許可になりたる場合は甲(被控訴人を指す)に対して金壱百万円也を提供する。(後略)」と記載されている。しかし前顕その余の証拠に照らせば、同条の「第十二号千鳥丸」が「第一三千鳥丸」の誤記であることはきわめて明白である。

なお右和解契約成立直後被控訴人は、控訴人の求めにより、第一三千鳥丸の前記漁業許可申請に協力する旨の念書(乙四号証)を控訴人に交付した。

13  前記和解契約においての金一、〇〇〇、〇〇〇円の支払いの約に基き、控訴人は本件約束手形を振出した。

(三) 以下控訴人の抗弁について逐次判断する。

1  まず、控訴人は、本件約束手形は、昭和三〇年一二月三〇日控訴人被控訴人および鳥越専太郎の三者間で締結した甲二号証の契約書による契約(甲二号証の第三条)に基いて振出したものであるが、右契約(甲二号証の第三条)によれば、金一、〇〇〇、〇〇〇円は、控訴人が第十二号千鳥丸による西カムチヤツカさけ・ます漁業の許可申請をして如何なる手段によつてゞもそれが許可になつた場合に支払うという条件になつているものゝところ、控訴人はその当時はもちろんその後においても第一二号千鳥丸によつて右漁業の許可を申請したことはなく、したがつて右金一、〇〇〇、〇〇〇円の支払い約束は、第一二号千鳥丸についての前記漁業の許可という最初からあり得ない不能条件にかゝらせたものであるから無効であり、仮にそれが無効でないとしても第一二号千鳥丸についての前記漁業の許可という条件の成就がないから本件約束手形の支払義務はない、と主張する。

しかしながら昭和三〇年一二月三〇日控訴人、被控訴人および鳥越専太郎の三者間で結ばれた契約の契約書第三条の第一二号千鳥丸が第一三千鳥丸の誤記であることはすでに認定のとおりであり、右契約において控訴人が被控訴人に対し、第一三千鳥丸の西カムチヤツカ海域での昭和三一年度における母船式さけ・ます漁業の許可を得ることを条件として金一、〇〇〇、〇〇〇円を支払うことを約し、これに基いて本件約束手形を振出したものであることもすでに認定のとおりであつて控訴人の前記主張はこれと前提を異にするものであるからその余の点を判断するまでもなくこれを採り得ないものである。ちなみに原審証人加藤三男、鳥越専太郎(第一回)および原審での控訴本人の各供述によれば、第一三千鳥丸についての前記許可は昭和三一年二月に下り、控訴人が同年度に同船で西カムチヤツカ海域での母船式さけ・ます漁業に出漁したことが認められる。

2  つぎに、控訴人は、本件約束手形は被控訴人が昭和三〇年度における控訴人の西カムチヤツカ海域さけ・ます漁業の許可申請を妨害しないという条件で振出したものであるが、このような条件は不法条件であるから本件手形の振出行為は無効であり、控訴人にその支払義務はない、と主張する。

しかしながら本件約束手形が控訴人の右主張のような条件のもとに振出されたことについてはこれを認めるに足りる証拠がない。前記和解契約成立直後被控訴人が控訴人に(二)の12末尾で述べたような念書を入れた事実もいまだもつて控訴人の右主張こう認の資とするには足りない。したがつて控訴人の右主張も採用できない。

3  つぎに、控訴人被控訴人および鳥越専太郎の三者間で結ばれた前記和解契約および本件約束手形の振出行為は控訴人が被控訴人に強迫されてしたものであるから控訴人は本訴でこれを取り消す、したがつて控訴人は本件約束手形の支払義務がないとの控訴人の主張について考えてみる。

被控訴人は、昭和三〇年一二月下旬北海道庁水産課あて(二)の9で認定したような投書をし、また加藤三男から控訴人に対し(二)の10で認定したような通告をしてもらつたのであるが前者は控訴人に向けられた行為でもなければ、控訴人をいかくするためにされたものとも認められないので、これを強迫行為とみる余地はない。これに反し後者は、前叙(一)の1、3(二)の1ないし7の事実によれば、控訴人に対し物心両面において甚大な損害を被らせる害悪の通知としてゆうに控訴人をいかくするに足りるものと認められ、それがいかに控訴人の前記漁業権交換契約による義務の履行を促す目的に出たものとしてもその手段として当を失し、これを強迫行為といわなければならない。しかしながら(二)の12で詳しく認定したところによれば、前記和解契約のうち金一、〇〇〇、〇〇〇円の条件付き支払いを約した点をしばらくおけば、控訴人が右契約を締結したのは、前記強迫によつたというよりはむしろ前記漁業権交換契約を自分の責で履行できなくなつたことの責任をとるためであつたとみるのが相当である。つぎに前記和解契約で控訴人が金一、〇〇〇、〇〇〇円の条件付き支払いを約した点についてみるに、右契約締結のための折衝過程で加藤三男が、被控訴人の要求金員の支払いに応じようとしない控訴人に対し(二)の12で述べたようなことを言つて説得したことが問題であり、右加藤の言は、あたかも控訴人がもし被控訴人の要求に応じないときは、被控訴人から第一三千鳥丸の漁業許可申請を妨害されその結果大きな損害を被るように申し向けたが如くであつて、控訴人に相当のいかく作用を発揮したであらうことは推認するに難くない。しかし(二)の12で認定したところによれば、加藤三男は、控訴人を強迫するつもりで前叙のような言をもつて控訴人を説得したものとは認め難く、紛争調停者として、紛争解決の成否いかんによる控訴人の利害得失を控訴人に説ききかせるつもりで前叙のように言つたものとみるのが相当である。要するに加藤三男の言には強迫の故意を欠いているのである。しかして控訴人は、加藤の説得によつて被控訴人に対し前記条件付きで金一、〇〇〇、〇〇〇円を支払うことを約したのであるから前記和解契約は、これを全体としてながめてみても、それが被控訴人または加藤三男の強迫によつてなされたものということはできない。なお本件約束手形の振出が控訴人主張のような強迫によつてなされたことについては何の証拠もない。

それ故控訴人の前記主張も採用することができない。

4  つぎに控訴人は、控訴人が被控訴人に対し金一、〇〇〇、〇〇〇円の支払を約し、本件約束手形を振出すについては被控訴人が大鳥丸の漁業権をもつて昭和三一年度に出漁しないことを条件としたものであるところ、控訴人は昭和三一年度に大鳥丸の漁業権をもつて出流したから本件約束手形の支払義務はない旨主張するが、前記金一、〇〇〇、〇〇〇円の支払約束につき控訴人主張のような条件がついていたことについては原審および当審証人(原審では一、二回)鳥越専太郎と原審および当審での控訴本人がこれに副う供述をしているほかこれを認めるに足りる証拠なく、右供述も前顕その余の証拠なかんずく甲二号証にその旨の記載がないのみならず、かえつて昭和三一年度にもしそれが可能であれば被控訴人が大鳥丸の漁業権によつて出漁することを前提とした条項(第四条)があることに徴すればとうていこれを信用することはできず、また本件約束手形が控訴人主張のような条件のもとに振出されたことについては何らの証拠がない。それ故その余の判断をするまでもなく控訴人の前記主張は採ることができないものである。

5  つぎに、控訴人は、被控訴人がもし昭和三一年度に大鳥丸の漁業権をもつて漁業をした場合は本件約束手形の支払につき控訴人と被控訴人間で協議して控訴人の支払金額を改めてきめる特約があつたところ、被控訴人は昭和三一年度に大鳥丸の漁業権をもつて漁業をしたにかゝわらずいまだ控訴人被控訴人間に本件約束手形の支払金額をいかにするかについての協議がないから控訴人には本件約束手形を支払う義務はないと主張する。

案ずるに、原審証人加藤三男(第二回)の証言によると前記和解契約を結ぶための折衝過程において控訴人が前記加藤三男に対して、「もし被控訴人が昭和三一年度に大鳥丸の漁業権によつて出漁したときは金一、〇〇〇、〇〇〇円の支払いはするのか」ときゝこれに対し加藤が「そのときは両者で話合つたらよいだらう。」と応答したことが認められるのであるが、甲二号証にこの点の記載が何らないことにかんがみると、控訴人の主張するような特約が控訴人と被控訴人間に成立したものとは認め難く、ほかに右特約の存在を認めるに足りる証拠はない。したがつてその存在を前提とする控訴人の前記主張は、その余の点を判断するまでもなく採ることができない。

6  さいごに、控訴人は、被控訴人が昭和三一年度に大鳥丸の漁業権によつて漁業をするときはその支払義務を免れるものと誤信して前記金一、〇〇〇、〇〇〇円の支払を約し、本件約束手形を振出したもので右支払約束および手形振出行為には要素の錯誤があつて無効である、したがつて本件約束手形の支払義務がないと主張するが、控訴人主張のような錯誤のあつたことを認めるに足りる証拠はなく、すでに述べたように甲二号証に被控訴人が昭和三一年度に、それが可能である限りは大鳥丸の漁業権によつてさけ・ます漁業をすることを前提とする条項がある(第四条)ことからみれば、控訴人は被控訴人が昭和三一年度に大鳥丸の漁業権によつてさけ・ます漁業をすることもあり得ることを当然予想して前記金一、〇〇〇、〇〇〇円の支払いを約し、それに基き本件約束手形を振出したものと認められるから控訴人の前記主張も採り得ない。

三  そうとすれば、控訴人は被控訴人に対し本件約束手形金一、〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対するその満期の翌日である昭和三一年五月一日からその完済に至るまで商法所定年六分の割合による損害金を支払う義務があるものといわなければならず被控訴人の反訴請求は正当として認容すべきである。

第三以上のとおりであつて原判決の判断は結局相当であるから民訴法三八四条によつて本件控訴を棄却し、控訴費用を敗訴当事者である控訴人の負担として主文のとおり判決する。

(裁判官 斎藤規矩三 石井義彦 宮崎富哉)

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